2017年11月3日、文化の日、家族4人で横濱聖地巡礼へ行ってきた。
この日に日付が変わった午前2時頃、この日からの3連休には、どこかへ聖地巡礼すべきかどうか、ダウジングで伺ってみた。
すると、地図上で振れたのは、横浜市中区諏訪町の諏訪神社だった。
そして、横浜中華街にある横濱媽祖廟にも行くようにとの司令。
【目次】
私の「聖地巡礼」の意味
「聖地巡礼?指示?」
神秘三昧ブログを開設してから、まだ聖地巡礼記をあまり書いていないので、事情がわからない人もたくさんだろう。
私が「聖地巡礼」と称するのは、自分の意思であそこへ行きたいというのは全くない。
すべては、ダウジングで守護する存在に伺って、場所は地図帳の上で水晶ペンデュラムを使って示される。
そうと意識して始めたのは、1995年にジャワ島でSEとして働いていた時だった。
それ以来、Excelで記録しているものだけでも400カ所以上あるが、記録していないところも多数あるので、おそらく今生で1000カ所以上は巡礼しているだろう。
祈りの目的は、世界全体の平和であり、また地震など自然災害の鎮静が多い。
これも、ダウジングで伺うこともある。
なぜ横浜か?
翌朝、8時頃に起きて、「横浜へ行くよ」というと、サルちゃんと子どもたちは大喜び。
私が聖地巡礼するといっても、他の家族は何らかの「エサ」がないと行きたがらないこともある。
その点、横浜中華街ならばエサは十分ある。
横浜の司令が出て、祈りの目的は伺うまでもないと悟った。
3.11の後、それ以前は非常に多かった千葉や茨城ではなく、神奈川県を周るような指示ばかりになった。
なぜだろうと考えてみると、やはり「次の大震災は神奈川が危ない」ということではないか。
2012年1月3日の朝には、寝床でまどろんでいて、「まぼり つなみ」という言葉が浮かんだ。
三浦半島・馬堀海岸に津波が押し寄せるということか?
2013年3月26日には、平和島の美原観音で地震鎮静の祈りをしていて、「さがみ」という声が聞こえた気がした。
やはり、次の首都直下地震は神奈川なのだろうか?
このような私の幻聴・ヴィジョン・予知夢のたぐいは、下記のページにまとめている。
www.shinpi3.com
もちろん、このようなことが現実に起きるかどうかはわからない。
しかし関東大震災の震源が神奈川県だったように、大地震や津波に常に警戒を怠らないことは大切でしょう。
不思議な体験
11月3日朝、花小金井→高田馬場→渋谷→元町・中華街駅と乗り継ぐ。
かつて、横浜中華街がある山下町に短期間住んでいたことがある。
なので、このへんはすごく懐かしい。
不思議な話があって、私が今まで住んだことがある土地(自分で物件を探したところ)には、半径1.5Km以内に必ず諏訪神社(合祀も含む)がある。
2001年以降に住んでいる今の小平市も例外ではない。
もちろん、そんなことを意識して物件を選んだわけではなく、住み始めた後で知るのだ。
今の土地のように、ダウジングで探したところもあるが、そうでない所も、知らずのうちに諏訪大明神が祀られている土地を選んでしまうのだ。
諏訪の神さまに護られている証拠のひとつだと思っている。
下記のページで、それらの土地をまとめている。
もう一つ、不思議な話。
(私の人生はこういう体験ばっかりなので、人間やっていて飽きない)
30代の頃、数ヶ月間ほど、中華街がある山下町に住んでいた。
そこに住んでいる頃に、何度か同じ夢を見ていた。
山下町から元町を越えて、山手へ向かう階段を上って行く光景だけの夢だ。
2009年になって、その丘を上って行った諏訪町に、小さな諏訪神社があることを初めて知った。
あの繰り返しの夢は、その諏訪神社へお参りしろということだったのだろう。
というわけなので、諏訪町の諏訪神社は、個人的にも非常に重要な神社であるのだ。
JR石川町駅の近くには、石川町諏訪神社もあり、ここもセットで巡礼させられることがあるが、今回は指示が出なかった。
諏訪町諏訪神社
元町の通りから、その、むかし夢に出てきた坂道を上って行く。
横浜外国人墓地の脇を通り、山手のメインストリートから山手聖公会の教会の脇を入る。
この道を歩く人の数は、めっきり減ってしまう。
100mほど歩くと、ブリキのおもちゃ博物館があり、さらに道なりに30mほど歩くと諏訪神社がある。
道に迷ったら、「ブリキのおもちゃ博物館」を尋ねると、地元の人ならば知らない人は少ないだろう。
諏訪町の諏訪神社と言っても、下手すると地元の人でも知らないかもしれない(?)。
そのくらい、住宅地にある目立たない小さな神社なのだ。
下記にGoogleマップを埋めこんでおく。
この記事の冒頭にあるのが、諏訪神社の社殿。
小さな境内に小さな祠があるだけの、無人の神社だ。
このような小さな神社だが、創建はなんと文治3年(1187年)9月といわれる。
その後、境内地が外国人居留地に変更になったり、鎮座地が何度も移され、大正元年(1912年)10月に現在地に鎮座したが、大正12年(1923年)9月の関東大震災で社殿焼失して再建された。
先日TOCANAでも書いたが、諏訪神社は全国各地に多数鎮座する中で、海沿いには特に多い。
このことは、弟橘媛命さまがそうであるように、津波からの守護もされる神さまであると推測される。
www.shinpi3.com
この神社に初めて導かれたのも、ある不思議な話がある。
2006年3月にダウジングで聖地巡礼先を伺うと、この諏訪町あたりで水晶ペンデュラムが振れた。
そして、この諏訪神社を発見したのだった。
tankyu.hatenablog.com
20年以上前に、横浜に住んでいた時に何度か夢で行くようにと言われてきた神社に、やっとたどり着いたというわけだ。
ああもっと早くたどり着いていればと、後悔したものだった。
【横浜聖地巡礼】11/3 中区諏訪町の諏訪神社。小さな祠だけの無人の神社だが、創建は文治3年(1187年)と800年以上の歴史があり、非常に重要な意味を持つ知られざる聖地。かつて近くの山下町に住んでいたことがあるが、私が住んだ土地には半径1.5キロ位に必ず諏訪神社があるという不思議。諏訪大明神に護られている。(父方の氏神は諏訪大社)#聖地巡礼 #パワースポット #諏訪神社 #横浜
小さな社殿前で、地震と津波からの被害から護られるようにと、祈った。
この神社は港を見下ろす高台にあるが、ここまで津波が到達するようなことがなければ良いのだが。
サルちゃんには、家の神棚でお祀りしている諏訪の神さまだと説明した。
父が諏訪で生まれ、父方の先祖代々、諏訪大社の氏子だった人間だ。
しかも、6年に1度の御柱祭の真っ最中、おそらくこの日に建て御柱が建っただろうという日の朝に、私は生まれたのだ。
出産予定日を2週間もすぎて、まるでこの日を待っていたかのように。
こういう具合に、人生で不思議な体験ばかりしてきたので、自分のことを「不思議百貨店」と呼びたくなってくる。
【愛弥美】11/3に横浜元町の手造り家具の店の前で。昔この近くに住んでいたから懐かしい。メッチャ物価が高かった。At Yokohama. #愛弥美
横濱媽祖廟(よこはままそびょう)
次に、元町へ戻って、中華街へ。
2番めで最後の巡礼地は、横濱媽祖廟。
ここは創建直後から、聖地巡礼してきた。
これもまた不思議な話なのだが、下記のような経緯がある。
2006年3月の春分の日に、聖地巡礼しようとダウジングすると、前述のように諏訪町の諏訪神社へ行くようにと指示された。
もう一つ、ダウジングで最後の3番目に出たのが、横浜中華街だった。
関帝廟だろうと思ったが、違っていた。
このダウジングをした日の直前に、横濱媽祖廟が創建されたのだ。
ダウジングで、いつもデタラメにペンデュラムが振れているのではなく、すべては意味があるのだということは、こういう風に後になってわかるのだ。
【横浜聖地巡礼】2カ所目は横浜中華街の媽祖廟。私はなぜか各国の海を司る女神さまにご縁があって、媽祖(まそ)様は10世紀に福建省に実在した神通力をもつ女性だった。過去の霊的経験から、津波からの守護も司る方だと思われる。At Mazu temple in Yokohama Chinatown.#聖地巡礼 #横浜媽祖廟 #媽祖
媽祖様といえば、いままで香港や沖縄や長崎の媽祖廟を周ってきた。
どういうわけか、水や海を司る女神さまにご縁があって、中国の媽祖さまもその一柱だ。
かつて、宮古島のカミンチュー(シャーマン)の女性ほかに、「あんたは水の神さまに縁があるね」と言われて、その時はピンと来なかったが、いまでは確かにそうだと思える。
3.11の5年前から、横濱媽祖廟を何度となく巡礼させられてきたのは、やはり「津波」だったのだろう。
かつて千年前に福建省に実在した神通力をもつ女性だった媽祖様は、今ではおそらく津波から人々の守護も担われているのだろう。
こういう具合に、私が聖地巡礼記を書き出すと、いろんなところで脱線して過去の記憶を遡り、過去のブログ記事を探したりするので、すごく時間がかかる。^^;
媽祖廟は、6年前に結婚してからも家族で何度か訪れている。
ちなみに、バンコクの中華街にも媽祖廟があるようで、ネットで検索すると見つかったが、彼女は知らないという。
推測だが、華人以外のタイ人には媽祖信仰は広まっていなく、用がないところなのだろう。
自販機で、一人分500円を払って線香をいただく。
番号が書かれた5カ所の香炉に1本ずつ線香を供えてから、本殿に入る。
祈ることは、もちろん首都直下地震などの大地震や津波から人々を護ってくださいということ。
大きな津波が襲ったら、おそらくこの中華街も危ないだろう。
その可能性は、少なくとも都心よりは高い。
お金や学問のご利益がある神さまも媽祖様の脇に祀られていて、さすがタイ人の家内は熱心に祈っていた。
その後に、家族4人でおみくじを引かせていただく。
結果は、愛弥美以外はすべて悪い運勢だった。
それで、おみくじを境内の香炉に投げ入れて燃やした。
【愛弥美】11/3横浜媽祖廟で4人でおみくじを引いたら、あやちゃん以外は悪い結果だった。こういう時は運命に逆らわず、ひたすら耐えるしかない?#愛弥美 #横浜媽祖廟
特に私は、今は何をやっても駄目という最悪の期間にあるという。
なるほど確かにと、納得した。
人生に運勢の波というのは絶対にあるわけで、今のように悪い時には、じっと耐えることも必要だろう。
良い悪いと人間は勝手に決めつけるが、実際は人が「悪い」と思う時にこそ大きな魂の成長が望めるものなのだと思う。
そこまで達観した人は、悪い運勢と言われてもクヨクヨと思い悩まないだろう。
11/3横浜媽祖廟でおみくじを引いたら、今は大変困難で障害の連続で簡単には乗り越えられないと。たしかに。やっぱりここのような最高聖地では正確な運勢を教えてくれるんだなと妙に納得。媽祖様は千年前の中国南部に実在した最高の女性シャーマンみたいな人でした。#横浜媽祖廟 #聖地 #おみくじ #媽祖
その後
私はいつも、聖地巡礼する日には、最後の巡礼が終わるまでは「断食」だ。
そうハッキリと指示されたわけではないが、特に海外の聖地巡礼へ行くと口内炎ができて口の中が腫れて、思うようにものが食べられないことが何度か続いた。
それで、ああこれは聖地巡礼の時には断食しろということなのだなと悟ったわけだ。
断食とはいっても、週末以外は1日1食の人間なので、何の事はない。
自分の経験からはっきり断言できるのは、頭脳を使う作業や祈りをする時には、満腹時よりも断食中の方がはるかに良い結果が得られる。
巡礼が終われば、あとは家族サービスのようなものだ。
14時くらいになっていたが、中華街の萬福大飯店の食べ放題で食事をした。
【今日の食卓】横浜中華街の萬福大飯店で食べ放題、大人1980円税別、子供980円。料理が出てくるのが遅いけれど大体美味しく、時間制限がないので、遅い昼にのんびり食べるには良い店。 #食探三昧 #横浜中華街 #萬福大飯店
巡礼終了後ころから、頭痛が始まり、帰宅後に頭痛薬を飲んですぐに寝た。
久しぶりだが、もしかすると「聖地巡礼頭痛」か。
ほとんどの人には「何のこっちゃ?」でしょうね。
【体感】11/3横浜聖地巡礼で2カ所廻った頃から頭痛が始まり、夜に頭痛薬を飲んでブログも書かず寝た。久々の「聖地巡礼頭痛」かなと思ったけれど低気圧要因も多少あって微妙。「もらってくる」って、経験者でないと意味不明かな? @kokanranger #地震 #地震予知 #地震前兆 #聖地巡礼
2006年3月に初めて諏訪町諏訪神社と横濱媽祖廟に巡礼したが、思えばそれはちょうど東日本大震災の5年前だった。
全てが予め決まっているとしたら、あまりにも理不尽なことだが、そこには人智の及ばない世界があるに違いない。
※媽祖さまのことを知りたい方は、この本が最高にお薦め。
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