神秘三昧Web & blog - 超常現象研究家・ライターの百瀬直也によるスピリチュアル・予言情報

ノンフィクションライター、超常現象研究家の百瀬直也がスピリチュアル・霊性・予言等を探求する


【幼児虐待事件】船戸結愛(ゆい)ちゃんが亡くなった事件、長年の心霊・超常現象研究から推測すると…

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【幼児虐待事件】
3/2に、東京都の船戸結愛(ゆい)ちゃん(5歳)が両親の虐待を受けて亡くなった事件。
われわれにとって、非常にショッキングな出来事だった。


このことについて、結愛ちゃんの行く末(来世)なども含めて、スピリチュアル観点から考えてみることにしたい。

ニュースを見て想ったこと

昨夜、仕事をしながら脇にあるテレビで、NHK「ニュースウォッチ9」を流していた。
それを見て、非常にショックを受けたことがある。


https://www.instagram.com/p/Bj9xeLPHiAY/
【船戸結愛ちゃん】今ニュースウォッチ9で、衝撃を受けた。目黒区のアパート前に多くの人々が集まり、祈り、供物を捧げている。泣き出す男性も。遠方から来る人もいて、こういう無私の行為を行う人たちがいるんだと、勇気づけられた。#船戸結愛 #結愛 #結愛ちゃん #虐待事件 #虐待 #DV


ショックを受けたというのは、悪い意味ではない。
全国各地から、アパートの場所をどうやって知ったのかは知らないが、多くの人々が花や供物を捧げて祈りに来ている。
それだけのために、本当に尊い無私の行為だと思う。


いまの政治も経済も、何もかも、魔的存在に支配されたような日本で、数少ない救われる要因ではないか。


今の「男人形」の「もりかけ」問題とか、日大ラグビーの不正アタックの内田某とか、レスリングのパワハラの栄某とか…。
みな病根は同一だろうと感じる。


人間の「心」とか「良心」などより、お金とか、地位とか、学歴とかが優先されていった結果、このような歪んだ、腐りきった国になってしまった。
そんな中で、結愛ちゃんの供養のためにアパートに集うような人々もいることは、砂漠で水場を見つけたような、一縷の安心感を与えてくれる。

親を選んで生まれてくる子供

あくまでも推測だが、45年以上の心霊・超常現象の探求・研究の経験として、私は次のように思っている。
この子は、両親に何らかの「学習」をさせるために、敢えて過酷な環境に生まれてきたのではないか。
そうだとすれば、かなり霊的成長した魂といえる。


池川明氏の胎内記憶の研究からわかってきたことは、子供は親を選んで生まれてくる(ことがある)ということ。
たとえば、池川氏の本では、このような会話がある。

「りゅうくんはおかあさんをどうやって選んだの?」
「えっと、世界中さがして、いちばんママがよかったの」
(『雲の上でママをみていたときのこと。』、池川明より)


このように、親や環境を選んで生まれてくる子供というのは、すべてのケースではない。
ある程度の霊的成長のレベルに達している場合は、このように自分が生まれてくる環境を自ら設定することもあるらしい。

結愛ちゃんの行く末は?

だが、すべてがいちばん良いママのような基準で選ぶのではなく、何らかの目的で、敢えて過酷な境遇を自分に課して出生する場合もあるようだ。


結愛ちゃんの場合も、敢えてそのような人生を選んだのか、あるいは「上の存在」から指示されて、また薦められて、そのような選択をした可能性も、あるかもしれない。


たとえば、両親に何かを学ばせるために、その親の元に生まれてくるとか。
あくまでも可能性だが、そのように考えている。

次の人生は?

恐らく、結愛ちゃんのようなケースは、早く別の両親を選んで生まれ変わることができるのではないかと思う。
たとえ輪廻転生が真実であっても、この地球上に生まれてくるのは、容易いことではない。
生まれてきたくても、許されない魂もたくさんいる。


だが、結愛ちゃんのように突然に、しかも幼いうちに人生を終わってしまった場合は、優先的に次の出生を許される場合が多いのではないだろうか。


このようなことは、結論だけ書いても、なかなか理解してもらえないだろう。
私のように、長年かけて霊的世界を探求し、道を探してきた人間だけが見聞するような経験がないと、なかなか字面だけでは伝わらないこともある。

人はなぜ生まれてくるの?

人はなぜこの世に生まれてくるのだろう?
人は亡くなったら、どこへ行くのだろう?


このような問いかけが、自ずと真理の探求を目指す方向へと導く。
私は、小さい頃から、そのような疑問をいだき、誰に教わるでもなく、自分が行くべき方向をわかっていた。


結愛ちゃんの場合、今回があまりにも過酷すぎたので、そういう意味でも、「ご褒美」ではないが、次はいおっておくが比較的(良い意味で)安楽な人生を歩めるかもしれない。


誤解がないように言っておくが、人間世界でいうところの「幸福」とは、目先のものであり、真の人間のゴールはそういうところにはない。
ひとつの休息も兼ねて、比較的上り下りの少ない道を歩むような気がする。


多くの人たちも、結愛ちゃんがそのような人生を歩むことを望んでいることだろう。
うちの家内のように、自分を犠牲にした限りない優しさで子供に接することができる母親を選べば、まず間違いないだろう。

なぜ今のような国になってしまったのか…

永遠の生命がないと思うことから、亡くなればすべてオシマイと思い、金が全て的な即物的な価値観が生まれる。
霊的存在や神仏などいなく、誰も見ていないと思うから、悪いことを平気でできるようになる。
人間とは、そういうものではないか。


こういうことを書いているうちに、結愛ちゃんがあのような悲惨な人生の終わり方をしたのは、じつは今の日本に生きる人々に、何が本当に重要なことかを気づいてもらいたいがために、このような人生を設定したのかもしれないとも思うようになってきた。
それは、考え過ぎかもしれないが。


冒頭の結愛ちゃんの写真を見ているうちに、この子はかなり普通の子と違うものを持っているのではないかと思えてきた。
それ故に、このような妄想(?)が入ったことを書いてしまった。
それをどう思うかは、読む人々におまかせしたい。


※いま4歳の娘の愛弥美が生まれた時の動画。


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